第6戦勝者カン・ドンゴン、キム・ガヨンへのインタビュー(中編)

前編に続き二人へのインタビューの抜粋翻訳です。

<カン・ドンゴンへの質問>

▲早くからビリヤードのプロ化を期待していたと聞いています。

子供の頃には、他の多くの選手がそうであるよう「ビリヤードで暮らすことができるか」という心配もした。
ところが、2010年ごろからビリヤードがメディア露出が大幅に増えて認識改善され、「ビリヤードもプロ化が可能ではないか?」と思った。それは2019年に実現したよ。

▲優勝するまでPBAランキング39位でした。これまでの不振にプライドが傷ついたのでは。

以前であれば不振だった場合(私の)ビリヤード技術と方法に失望しただろう。しかし、頻繁に変化しようとして失敗を繰り返した結果、不振を気にしないようした。今まで39位という順位は一度も経験がないので大変だった。

▲不振だったのは何故だと思いますか?

前述したように、変化をしようとして失敗したようだ。不振が続いて気付いたらずっと変化しようとしていた。「こうならないなら、こうしよう」とかね。そうしているうちに、ふと「以前はこんなことしていなかったのに、なぜこのように撞いている?」と自分が恥ずかしくなったよ。
今振り返ってみると、自分自身を何も信じていなかったようだ。

▲優勝した第6戦では、心境の変化はあった?

継続的に変化しようとして失敗していたとき、私はどんなビリヤードをしいたのかという意思がなかった。だからLGU +大会優勝したときのプレイ映像を見て分析した。ボールの配置や姿勢を確認しながら感覚を思い出した。

昔の映像を見ると、最近の私とは全く別人だったよ。当時は自信を持った「カン・ドンゴン」だったのに最近のPBAツアーの映像を見ると、自信もなく落ち込んだ恥じ入っている選手で、意志や意欲もないように見えた。第6戦では全てを忘れて自信を取り戻すためにに努力した。

▲成績不振で誰よりも負担が大きかったのでは。

「良くしなければならない」という負担があまりにも重すぎた。「なぜ私だけここで苦労している?」という思いもあった。事実、真剣にビリヤードを辞めたい気がするほどだった。こんなにビリヤードが怖くなったのは初めてだよ。一人でこっそり泣いたことも多かった。

周囲の人も最初は「悪いときもあるさ」「次は上手くいくよ」と言っていたが、不振が続くとそういう事も話し辛そうだった。私も同じで会う人ごとに同じ事を言われるのが嫌だった。

今になって考えると、自分自身を閉じ込めていたようだ。わずか6ヶ月の不振なのに。以前1〜2年の間スランプを経験したが、今回ほど大変ではなかった。じっくり考える必要があったが、期待にも応えなければならないプレッシャーに焦っていた。

一方で、これがプロの重さはないかと思う。それでも「何が問題なのか」を絶えず考え、打ち勝つことの原動力となった。

▲フレデリック・クードロン、エディ・レ・フェンス、ジャン=ポール・ド・ブルーインなど外国の有名選手の不振がむしろ糧になったと。

実際、私には外国強豪、特にク-ドロンはPBAツアーに適応しているように見えた。ところが(優勝はしたが)彼も苦労していた。だから「ああ、自分だけ苦労してるわけではない」と慰めたよ(笑)。
国際大会を10年近く見てきたが、今回のように彼らが慌てて苦労する姿を見たことがない。

▲PBA発足後、韓国選手たちの実力を見て驚きました。

PBAに参加して最も強く感じる部分だ。国内選手たちは本当に大きく成長した。実際にカン・ミング、シン・ジョンジュ、ジョ・ゴンフィなどは、PBAに来てより注目されている。それだけその選手たちがPBAに適応するためにどのような努力をしたのか想像するよ。

▲優勝したことで、今後は負担が減りますか。

そう思う。とにかく優勝一度したので(笑)。今後の成績はどうなるか分からないが、不調な時に感じたプレッシャーは減ると思う。常に「強いカン・ドンゴン」として毎大会優勝を狙うよ。

元記事 MKビリヤードニュースより抜粋翻訳

悪疑叡,沿亜慎 ^企奄穣板据, 井奄舌歳是奄・遭促 雁姥拝 言 蟹倉 ̄
^企奄穣 板据, 井奄舌 歳是奄, `覗稽¨ 硲暢 去 戚訓闇 坦製戚倉・ 遭舛廃 覗稽雁姥識呪稽辞 糎掻閤澗陥澗 汗界戚 級嬢推. ̄ 走貝背 源 覗稽雁姥 PBA6託燈嬢 `SK兄斗朝 PBA-LPBA竪杷情淑¨ 酔渋切
タイトルとURLをコピーしました