PBA「最初の0点退場」ソ・ソンウォンのインタビュー

元記事 MKビリヤードニュース

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 PBAは既存のスリークッションビリヤードとは異なるいくつかの新しいルールを採用し、試合の緊張感とビリヤードファンの興味を惹きつけた。代表的なものとしてサバイバル、セットマッチ、バンクショット2ポイントシステムなどを挙げることができる。

 もう一つ見逃せないの「0点退場(ノックアウト)制」だ。「0点退場」とは4人1組で行われるPBAサバイバル(PBA Round128〜64、LPBA Round64〜16)の試合で、基本点の50点をすべて失って0点になると、その選手は試合途中でもテーブルから「退場」させられるルールである。

 PBAツアー初の0点退場者は誰だろうか。PBAは初戦の「PANASONIC Open」では基本点数をを99点とした。この大会では0点退場が発生しなかった。しかし、第2戦の「Shinhan investment PBA CHAMPIONSHIP」(7月)から基本点数を50点に縮小した。この大会ではRound128(一次予選)だけで「0点退場」がなんと10人も出た。

 その中の一人がソ・ソンウォン(48)である。ソ・ソンウォンはRound128のキム・ラフイ/オ・ヨンジェ/キム・イムグォンとの試合で、わずか10イニングでスコアをすべて失い「0点退場」となった。

 サバイバルの特性上、「0点退場」はいくつかの要因が作用する。実力もそうだがプレイの順番や試合の流れなど変数が多い。ツアーが続き「0点退場」者も増加するなかで、PBA選手の間で退場は「병가지상사=一度の失敗などたいしたことない注:韓国の諺のようです。「勝敗は兵家の常」とはニュアンスが違うよう)」とされてきている。

PBA発足後、事実上最初の「0点退場者」となったソ・ソンウォン選手から当時の心情を聞いてみた。

▲プロ選手として最初の「0点退場」となった。当時の状況は?

まずは思い出したくない記憶だ(笑)
試合結果を先に言えば、私は(退場した)10イニングまででわずか3点しか取れずスコアが良くなかった。


※順番は前半と後半では逆になる

私は4人の中でランキングが最も高く(当時32位)、攻撃順が最初になった。しかし、初球を失敗した。
以後2回のイニングでもボール配置が難しくまたミスもあり無得点だった。その間に他の選手たちはぐんぐん得点を伸ばした。オ・ヨウンジェ選手は1〜6イニングで連続13得点をし、キム・イムグォン選手は10得点、キム・ラフイ選手も9得点した。

私は4、6イニングで1点ずつ得点したが、スコアは24点で半分ほどに減っていた。その後はキム・ラフイ選手の攻撃が爆発した。7、8イニングの3得点に続いて9イニングでは13得点した。私にはたった1点しか残っていなかった。

▲その後は?

1点残った時点で試合時間を見ると前半が終わるところだった。後半は1点からの再開となる。これがさらにプレッシャーとなった。いっそのこと前半ですっきり脱落したら良かった。
結局、後半開始後の10イニング目で1得点したがキム・ラフイ選手が4得点を上げ、私は後半最初のイニングで脱落した。
「0点退場」後は、すぐに車で大邱に帰った。

▲現在は「0点退場」でも選手だけ退場し、荷物は試合後にかたずけるようになっている。

そうだ。当時は初代ツアー(パナソニックオープン)では0点退場者がいなかったので規定を知らなかった。0点退場となると、そのままの荷物をまとめて退場すると思っていた。今は笑って話すことができるハプニングだ。

▲0点退場し、どのような心境だった?

心臓が締め付けられる、という表現がピッタリだ(笑)。
私が得点できなかったときに、相手の選手が次々と得点を上げていくと本当にプレッシャーがかかる。私の攻撃で得点できなかったりミスした時は自信がなくなる。基本点数を99点から50点に下げるというニュースを聞いたとき「予選落ちもあり得る」という考えはしたが、「0点退場」になるだろとは思わなかった。また、最初の脱落者が私になるとはは夢にも思わなかった(笑)。

▲基本点が50点となり、2次ツアー初日で10人が退場した。その選手たちと話をしたか?

しなかった。率直に言えば「0点退場」はビリヤード選手としてとても自尊心が傷つけられるからだ。また「0点退場」を考え続けるとその後のサバイバルゲームで意識してしまいそうで、その話をできるならしたくなかったという理由もある。

▲ 続く第3次ツアーでは、第1次のツアーに続いて2回目のRound32に進出し、その後も「0点退場」はない。経験が役に立ったか。

役立った。大きな刺激になったし助けにもなった。特にメンタル管理がサバイバルでは非常に重要であることを悟った。「0点退場」当時を振り返ってみると、相手選手達と私のスコアの差などを気にしすぎていて集中をしていなかった。

だから、それ以降はひたすら試合に集中した。相手の選手達がボールをどのように撞くか、例えば守備をするか攻撃をするかを注意深く見る。順番が私の前ではない他の選手でも、彼が攻撃するか守備をするかによってゲームの状況が全く変わることがある。だからひたすらテーブルに集中して他の事を気にしなくなった。そんな点が助けになった。

▲あなたはPBAトライアウトを経て、1部ツアーの選手になった。

「本物のビリヤード選手」になりたかった。私は、昨年(2018年)47歳で選手登録した「늦깎이=晩学の」ビリヤード選手だ。多くの大会に出場したが連盟大会だけでは現実的に生計が不透明だった。
国際大会も同じだ。3クッションワールドカップはトップランカーにはシード権や旅費の援助など多くの利点が与えられる。しかし下位の選手たちの経費は自費負担だ。ベトナムまでは行くことができても、ヨーロッパまではほとんど不可能だ。
そんな中でPBA発足ニュースを聞いて無条件に挑戦すると決心し、トライアウトを通過してPBA 1部ツアーの選手になった。

▲PBAルールをどう思うか。

昨年までの韓国連盟全国大会はシード権保有者は予選からは出場していなかった。しかし、PBAはそのようなことがない。優勝してランキング1位だろうが最下位の128位だろうがスタートは同じだ。
また、サバイバルは128位が1位に勝つチャンスがある。この点でツアーに参加する私の周辺の選手たちはPBAルールがとてもおもしろくて興味深いと話している。私も同じだ。

▲次のPBAツアーは1月に予定されている。

次のツアーで本当に驚くべき成績をだしてPBAファイナルステージに出場することができれば嬉しい(笑)。(注:ファイナル出場権は賞金ランク上位32名)しかし、現実的な目標は次のツアーで良い成績をおさめ1部ツアーに残留することだ。現在PBAランキング57位だが、40位くらいでなければ安定的に残留することができないと思う。1部ツアーに残ることができるように最善を尽くしたい。

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